赤雷通信

2020年11月号 vol.5

不死鳥、五輪へと羽ばたく

2020年11月04日 15:41 by hattrick_company
2020年11月04日 15:41 by hattrick_company
本日、日本自転車競技連盟(JCF)からリリースがあった通り、宇都宮ブリッツェンの増田成幸が来年に延期された東京五輪の自転車競技男子ロードレースの日本代表に決定した。
 
最後の最後に選考ランキングを逆転しての代表決定。あらためて増田にはおめでとうと言いたい。
 
 
 
 
増田と自分は2011年、同じタイミングで宇都宮ブリッツェンに関わることになった。2013年の1年間、増田はステップアップの移籍を果たしてキャノンデール・プロサイクリング(当時)へと旅立ち不在だったが、ほぼ10年間を共に過ごしてきた。
 
サイクルロードレースの華やかさ、面白さ、過酷さ、そして残酷さを、目の前で自分に見せ続けて教えてくれたくれたのは、間違いなく増田だ。
 
まず、多くの歓喜の瞬間に立ち会わせてもらえた。
2011年、増田が初優勝を飾った「JBCF栂池高原ヒルクライム」。自分自身もこの時はまだ知識もなく、フィニッシュまで行かずに中腹で撮影していた。
今となっては、フィニッシュの瞬間を撮っていなかったことが悔やまれる。
 
2012年の「JBCF栂池高原ヒルクライム」。1年前を反省し、しっかりとフィニッシュを撮影できた。
 
2012年「JBCF富士山ヒルクライム」。森本誠との死闘の末に勝利。ガッツポーズはなく、右手人差し指をわずかに挙げるのが精一杯のフィニッシュだった。
 
2012年「JBCF石川サイクルロードレース」。この年加入した飯野とのワンツーフィニッシュ。ルビーレッドジャージのために飯野が増田に先着するよう促す。
 
2012年「JBCF輪島ロード」。Jプロツアー個人総合優勝を決め、満面の笑みを見せる。
 
 
この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

漢の涙

2020年12月号 vol.6

「地域創生」を考える

2020年11月号 vol.5

For the Team を貫いた男の移籍

2020年10月号 vol.4

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

2021年02月号 vol.8

新型コロナウイルスの感染拡大で地域によっては緊急事態宣言が発令、さらに延長され…

2021年01月号 vol.7

新型コロナウイルスの感染拡大が続く中で迎えた新シーズン 新チームとなった宇都宮…

2020年12月号 vol.6

今シーズンの全レーススケジュールを終えた宇都宮ブリッツェン この時期だからこそ…